概要
バンデン・プラ(Vanden Plas)は自動車のボディのみを専門として製造しているコーチビルダーとなります。
後にバンデン・プラはオースチンに買収され、その後BMC、後にBLMCの一部となり、バンデン・プラの名前は高級グレードを示すブランド名となりました。その名称はジャガーXJのグレードとしてバンデン・プラの名前が最後となりました。
バンデン・プラ始まりの歴史
Vanden Plasの始まりはベルギーですが、名前はオランダ語に由来しており、文法的にはVan der Plasと表現するのが正しいでしょう。バンデン・プラといえば、現在ではオースチン・ローバー製品のイメージが強いですが、かつてはロールス・ロイス、ベントレー、アルヴィス、ダイムラー、ラゴンダなどのボディを製造していました。
また1939年まで、バンデン・プラの車体は手作りで生産されていたといわれています。
事業の始まりは1870年、鍛冶屋のギヨーム・バンデン・プラスは、ブリュッセルにある叔父の鍛冶屋で馬車の車軸の製造を始めました。
1884年にはベルギーの都市アントワープで馬車そのものの製造を開始し、後に生産をブリュッセルに戻しました。
1898年にビジネスの拡大に伴いギヨーム・バンデン・プラと彼の3人の息子、アントワーヌ、アンリ、ウィリーによってコーチビルダーとなるカロッツェリア・バンデン・プラが設立されました。
1913年にはイギリスに自動車のボディを制作する支社Vanden Plas(England)Limitedを設立しました。
第一次世界大戦中は航空会社に買収され、その後1922年には一度倒産しましたが
その一年後にはバンデン・プラスのマネージャーであったエドウィンフォックスが会社の権利を獲得し、Vanden Plas(England)1923Limitedとしてアルビスやベントレー等のボディを製造しました。
1930年代にはアルビス、アームストロングシドレー、ベントレー、ダイムラー、ラゴンダ、ロールスロイス、タルボ等のボディ制作を請け負っていました。
コーチワークとはシャシーに車体を架装することをいい、 イタリアではcarrozzeria(カロッツェリア)といいます。
第二次世界大戦中であった1939年にはデ・ハビランドモスキート爆撃機やタイガー・モス複葉機の翼を製造していました。
大戦後はコーチビルダーの業務を再開しましたが、世界的不況の中、イギリスの自動車産業も大きな打撃を受け、他の中小自動車メーカーが大手に吸収合併される中、バンデン・プラも1946年にオースチンモーターカンパニーの子会社になりました。
バンデン・プラが製造したオースチンプリンセスリムジンは1952年にイギリスのアールズコートに展示され、生産された最初の2台はエリザベス2世女王陛下によって購入されました。その後長きに渡ってバンデン・プラの車は英国王室の車として一部が使用されていました。
その後親会社であるオースチンは1952年にはモーリスと合併しBMCとなりました。
1959年にはオースチンA99ウェストミンスターのバッジエンジニアリングとしてバンデン・プラ プリンセス3リッターとして販売を始めました。
年表
- 1870年 – バンデン・プラがベルギーで馬車の部品製造としてスタート
- 1913年 – ベルギーのコーチビルダーの英国支社を設立
- 1923年 – 新会社バンデン・プラ(イギリス)設立
- 1931年 – ベントレー車の4分の1がバンデン・プラによって製造
- 1946年 – オースチン・モーター社がバンデン・プラを買収
- 1947年 – オースチン120プリンセス3.5リッターリムジンを販売
- 1947年 – オースチン135プリンセス4リッターリムジン販売(1956年まで)
- 1956年 – オースチン・プリンセスIV 4リッター オートマチックトランスミッション搭載
- 1958年 – プリンセスIVを別ブランドで発売
- 1959年 – プリンセス3リッターを販売(オースチン・ウェストミンスターのバッジエンジニアリング)
- 1959年 – プリンセス4リッターを販売
- 1960年 – バンデン・プラをブランドとして発足
- 1964年 – プリンセス4リッターRを製造(ロールス・ロイス社製エンジン)
- 1963年 – プリンセス1100(ADO16 Mk1)を販売
- 1967年 – プリンセス1300 (ADO16 Mk2)を販売
- 1969年 – リムジン「プリンセス4リットル」「4リットルR」の生産終了
- 1969年 – プリンセス1300の新モデルを販売
- 1980年 – 最後の自社モデル「1500」の生産終了
ADO16とは
1960年頃にBMCは バンデン・プラをブランドとして立ち上げ、プリンセスの名を付けた3台のモデルを発売しました。
- ADO16ベースのプリンセス
- オースチンA135プリンセス
- バンデン・プラ・プリンセス 4リットル(ロールスロイスエンジン)
その中のADO16はBMCと後のBLMCで1963年から1974年までに様々なブランド名で販売された小型自動車となります。
ADO16は6種類のブランドで販売されました。
オースチン、モーリス、MG、ライレー、ウーズレー、バンデン・プラもその中の一つとして販売されました。
ADO16とはAmalgamated Drawing Officeプロジェクトナンバー16を意味しており、BMCの設計及びエンジニアリング部門の事を呼びます。
1950年代初頭から生まれたこのAODプロジェクトは番号ごとに車両やエンジニアリングのプロジェクトに割り当てられ、中には生産モデルになったものもあります。
代表的なものでADO13オースチンヒーレースプライト、ADO15 Mini、ADO23 MGB、ADO53 オースチンA110ウェストミンスターがあります。
開発者はミニと同じアレック・イシゴニスで彼はミニの成功に続いて、より大きく革新的な技術を取り入れた車の設計に着手しました。
ボディデザインはカロッツェリア・ピニンファリーナへ依頼され、また1973年までに約2,365,420台のADO16が生産されたと報告されております。
プリンセス1100
スタイル | セダン |
エンジン | Aシリーズ水冷直列OHV4気筒 1100㏄及び1300㏄ |
駆動レイアウト | FFレイアウト |
ホイールベース | 2,375 mm |
---|---|
全長 | 3,725 mm |
全幅 | 1,534 mm |
全高 | 1,346 mm |
重量 | 832 kg |
ADO16ベースの1100モデルのシリーズは1962年から1967年まで製造されており、ハイドロラスティックサスペンションが特徴的でした。
ハイドロラスティック・サスペンションとは、アレックス・モールトンが1955年に考案したサスペンションの名称となります。鉢形の小室・ゴム製ダイアプラムで作られた小室を金属板で仕切った構造で、両部屋にはアルコール・防腐剤の混ざった水が注入されており、この2部屋間で水が往復した際に、ショックアブソーバーとしての働きが可能となります。
またフロントにはディスクブレーキを搭載し、当初デビューしたのは直列4気筒1098ccのBMC・Aタイプエンジンを搭載するモーリス・1100でした。
その後にMG・1100、オースチン・1100が登場し、また1963年にバンデン・プラ・プリンセス1100が登場しました。
バンデン・プラ・プリンセス1100は他のADO16モデルより上位グレードとして登場しました。
インテリアには計器類を埋め込み式にした全幅ウォールナット材のダッシュボード、同じくウォールナット材のドアトップのモールディング、フロントシートの後部に取り付けられたピクニックテーブルなどが採用されました。
ルーフライニングにはイングランド西部の布が使用され、床は高級なウィルトンカーペットで覆われ、すべてのシート着用面には英国の高級自動車に使用されていたコノリーレザーが使用されました。
各フロントシートには個別の折りたたみ式アームレストが取り付けられ、中央のアームレストはリアベンチに取り付けられました。
読書灯は各リアクォーターパネルに取り付けられました。走行中の騒音をさらに減らす為、さらに追加の吸音材が使用されました。
より大きなリアバンパーが各後輪アーチの周りに伸びて取り付けられ、リアオーバーライドが各テールランプの真下に取り付けられました。
4速オートマチックトランスミッションは1966年から販売され、SUシングルキャブレターが装備されており、マニュアルトランスミッション車にはツインHS2キャブレターが搭載されていました。
生産台数は15,256台で、そのうちオートマチックトランスミッションであったのは88台のみでした。
1967年4月から9月にかけて、プリンセス1100には、SUシングルキャブレターが搭載された「A」シリーズ1275ccエンジン仕様がありました。これにより、5250rpmで58馬力になり、最高速度は約141キロになりました。この車はVandenPlas Princess 1275として知られておりバッジが付けられています。「1275」トランクバッジを除けば プリンセス1100と違いはまったくありませんでした。
プリンセス1300(Mark1~Mark3)
プリンセス1300 Mark1の生産は1967年9月に始まりました。プリンセス1100との外観の違いはテールフィンの造形が若干変更されており、フロントフェンダーにライトマーカーを取り付けられ、ホイールはベンチレーテッドタイプとなりました。
インテリアではシートのデザインが変更され、表皮のみにレザーを使用し、その他の表皮には別の生地が使用されました。
またフロントドアの小さなゴム製ポケットは廃止され、代わりにフロントシート背面のピクニックテーブルの下に取り付けられた大きなポケットが採用されました。
エンジンは5250romで58bhpの出力を発揮する1275cc SUシングルキャブレター搭載の「A」シリーズエンジンとなり、オールシンクロメッシュ4速マニュアルギアボックスと4速オートマチックトランスミッションモデルが販売されました。
1968年4月にマイナーチェンジしたMark2のマニュアルトランスミッションモデルは、5750rpmで65馬力となり、SUツインキャブレターを搭載しています。オートマチックトランスミッションモデルは、5250rpmで60馬力となり、前モデルと同じSUシングルキャブレター搭載していました。
生産台数は 11717 台となります。
Mark3は1971年9月から販売されました。
性能に関してはMark2と同じで全体的に大きな変更はありませんでした。
サイドのマーカーが廃止され、新しいマニュアルギアボックスノブと、ヒーターコントロール用のモールドが取り付けられました。
この頃にはメーカーオプションとしてヒーター付きリアウィンドウ、スチール製スライド式サンルーフ、ツインスピーカー付きラジオ等がありました。1974年まで生産されており、生産台数は 10108 台となります。
日本への輸入
当時の日本にもADO16モデルは多数輸入されたようです。その中でもバンデン・プラは一時ブームとなり、多数の中古車が輸入されたようです。
また1991年に放映された日本テレビ系の刑事ドラマ「刑事貴族2」で水谷豊演じる刑事・本城慎太郎の愛車として登場しました。
現在の中古車市場でも少数ですがバンデン・プラ・プリンセスは流通しているようで
価格は比較的求めやすい価格となっています。
しかしコンデションの良い車両であれば300万以上するようなので安価だからと言って飛びつくとメンテナンスに大きな出費がかかりそうです。
50年近く前のモデルなのでボディワークやハイドロサスの状態は特に注意した方が良いと思います。
海外にはオーナーズクラブやスペアパーツの在庫も豊富にあるようですので、日本でも維持することは難しいことではないかもしれません。
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