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トライアンフ GT6とは
トライアンフGT6は、かつてイギリスに存在した自動車メーカー、スタンダードトライアンフ社のスポーツカーとなります。
スピットファイアの6気筒ファストバックバージョンで、イタリアのデザイナー、ジョヴァンニミケロッティがスタイリングし、1966年から1973年までの7年間で製造されました。
チルトカウルと呼ばれるフロントフェンダーごと前方に開くボンネット、なめらかなファストバックデザインとオープンリアハッチの近似性から“プアマンズEタイプ”(貧乏人が乗るジャガーEタイプ)と揶揄されていました。

モデル名 年 製造数 GT6マークI 1966年7月– 1968年9月 15,818 GT6マークII 1968年7月– 1970年12月 12,066 GT6マークIII 1970年10月– 1973年12月 13,042 総生産台数(全モデル):40,926
デザイナー :ジョヴァンニミケロッティ ボディスタイル :2ドアファストバック エンジン、駆動レイアウト :FRレイアウト エンジン :1,996cc(2.0 L)OHV I6 トランスミッション 4スピードシンクロメッシュマニュアル オプションのオーバードライブ付き ホイールベース :2,128mm 全長 3,717mm(Mk 1) 3,734mm(Mk 2 / Plus) 3,785mm(Mk 3) 全幅 1,450mm(Mk 1/2 / Plus) 1,486mm(Mk 3) 全高 1,193mm(47.0インチ) 車両重量 865kg(Mk1) 915Kg(MK2 Plus Mk3)
トライアンフGT6の歴史
当時のライトウェイトスポーツカーのオースチンヒーレースプライトやMGミジェット等に対抗するためにイタリアのデザイナー「ジョヴァンニ・ミケロッティ」によってデザインされました。
トライアンフGT6は当時、商業的成功を収めたスポーツカーであるオープンスポーツカーであるスピットファイアをベースにし1963年にスタンダードトライアンフのエンジニアあるハリーウェブスターは、ジョヴァンニ・ミケロッティにスピットファイアのGT(グランツーリスモ)バージョンの設計を依頼しました。


スタンダードトライアンフは、プロトタイプのスタイリングに非常に感銘を受けましたが、同時に車両重量の増加に不満を抱えていました。ファストバックとなった新しいボディはベースとなる直列4気筒1,147ccエンジンを搭載した場合走行性能が悪く、その為プロトタイプである新型スピットファイアGTの生産計画は打ち切られました。
1964年にレース部門はミケロッティデザインであるプロトタイプを参考にレース車両であるスピットファイアの空力効率を向上させるグラスファイバールーフを製造し、それらを移植しスピットファイアファストバックとなりました。そして1965年にはル・マン24時間レースで総合13位、クラス1位になりました。
ライバルであるMGミジェットを打ち負かし、結果的にミケロッティのデザインしたプロトタイプのスタイリングは通常のボディ形状よりもはるかに空力的に優れていることが証明されました。

レースで好成績を収めたスピットファイアファストバックと継続的な商業的成功を収めたスピットファイを受け、スタンダードトライアンフは再度プロトタイプの生産検討をしました。
車両重量により走行性能の低下の問題を改善するため、トライアンフビテスでも使用されていたより強力な直列6気筒エンジンに置き換えられました。そしてラジエーターの搭載位置やエンジンの大型化で問題が生じていたボンネットフードには大きなパワーバルジを開発することで解決しました。
より強力な2.0リッター(1,996cc)エンジンとさらに改良されたこの車は、GTスタイリングと新しい6気筒エンジンを強調するために、1966年にイギリスのアールズコート地区にてトライアンフGT6として一般に公開されました。

プロトタイプとレースが成功を収めたスピットファイアファストバックは開発経緯こそ異なりましたがスタンダードトライアンフはこのプロトタイプを「ル・マンで優勝したスピットファイア」として宣伝し、結果商業的に成功につながりました。しかし多くの人々が 「ル・マンで優勝したスピットファイア」 がトライアンフGT6と信じていました。

GT6 Mk1と問題点
Mk1(1966年7月-1968年9月)シャーシ番号:KC1-KC13572 生産台数 15,818

エンジンはOHV水冷直列6気筒で5000rpmでボア&ストロークは74.7 x 76mm 出力は95hp(71 kW)、3000rpmで117lb.ftのトルクを発生します。その最高速度は106mphであるとされており、当時のライバル車であるMGBGTよりわずかに高性能でした。
Mk Iの生産は、1966年7月から1968年9月の間に行われ、15,818台が生産され、主にアメリカへ輸出されました。
パワーの増加とエンジンの大型化に伴い、フロントスプリング、ブレーキとキャリパーが強化され、ラジエーターは新しくなりエンジン同様ギアボックスもより強力なトライアンフビテス の4速マニュアルギアボックスを使用しました。またオプションでレイコック・ド・ノーマンビル製オーバードライブがあり、3速と4速で約20%の燃費向上、静粛性が得られました。
またエクストラオプションとしてスポークのダブルレースワイヤーホイールが含まれていました。
しかし問題点もありました。スピットファイアから継承されたスイングアクスル式サスペンションはそもそもヘラルドのコピーであったため、前部が重量増加したGT6には耐えきれずオーバーステアになりハンドリング性能は良いものではありませんでした。その為主要市場であったアメリカでは強く批判されました。

多くの批判に答えたGT6 Mk II(GT6 +)
Mk2(1968年7月-1969年10月)シャーシ番号:KC50001-KC58046(前期)
シャーシ番号:KC75031-KC83397(後期)
生産台数 12,066

1969年に販売されたMk II(北米ではGT6 +として)は、新しい衝突規制に対応するためににフロントバンパーを上げたことによりウィンカーを2眼の丸タイプから長方形のタイプへ変更、リアサスペンションの問題は、リバースロアウィッシュボーンとロトフレックスドライブシャフトカップリングを使用することで大幅に改善されました。

エンジンも改良が施されビデスMK2のをベースとし、シリンダーヘッド(TR5と同型へ)、カムシャフト、およびマニホールドをアップグレードしたエンジンを搭載しました。重量は915 kgと重くなりましたが出力は104hpになり加速性能もMk1より0〜60 mph(0〜97 km / h)12秒から10秒へなりました。
またボディにはリアピラーとフロントのサイドフェンダー側にベンチレーションが追加されました。
1969年10月にはマイナーチェンジを果たし強化されたボディ、リクライニングシート、ナンバープレートライト(スピットファイアMk3に共通)を追加されました。

「Mk2」と「GT6+」の違い
これらは基本的に専用のバッジの違いのみとなります。
フロントフードとリアのロゴバッジの下に「GT6MK2」と「GT6+」にバッジがついています。
その他GT6+は輸出仕様なので基本的に「左ハンドル」のみとなります。Mk2は本国仕様なので基本的には「右ハンドル」となります。
1969年の生産台数は6,990台となりそのうち国内では713台、対して輸出台数は6277台と「Mk2」の希少性が判断できます。(1968年にはMk1とMk2が含まれ、1970年にはMk2とMk3が含まれるため数が曖昧となるため割愛します。)

シリーズ中最も洗練されたドライビングを誇るMk3
Mk3(1970年10月-1973年12月)シャーシ番号: KE0001-KE24218 生産台数:13,042

スピットファイアMkIVの最新の変更に合わせてボディシェル全体が改訂されました。
リアエンドがカットオフされたデザインへ変更、それに伴いガスキャップは埋め込み式となりサイドへ移設しキーロック可能となりました。
フロントボンネットも新型へ変更されメッキモールが撤廃、バンパーも刷新されスマートなデザインとなりました。
その後生産終了の1973年までに細かなマイナーチェンジを繰り返し、リアサスペンションはヘラルドの派生モデルで使用されていたスイングアクスルリアサスペンションの改良版のスイングスプリングレイアウトになり高速コーナーの性能がより改善されました。
エンジン性能はMK2と同様でしたが空力特性が向上したことで、最高速度は112 mph(180 km /)になりました。
またMk3はワイヤーホイールがオプションではなかったため、スチールホイールのみが取り付けられていました。

生産台数及び国内外の販売市場
モデル | シャーシ番号 | 生産台数 |
Mk1(1966年7月-1968年9月) | KC1-KC13572 | 15,818 |
Mk2(1968年7月-1969年10月) Mk2(1969年10月-1970年12月) | KC50001-KC58046 KC75031-KC83397 | 12,066 |
Mk3(1970年10月-1973年12月) | KE0001-KE24218 | 13,042 |
年間生産量
1968年にはMk1とMk2が含まれ、1970年にはMk2とMk3が含まれます。
輸出台数にはノックダウン生産分も含まれます。
年 | 国内市場 | 輸出台数 | 合計 |
1966年 | 68 | 1,366 | 1,434 |
1967年 | 1,824 | 5,542 | 7,366 |
1968年 | 771 | 6,247 | 7,018 |
1969年 | 713 | 6,277 | 6,990 |
1970年 | 622 | 4,781 | 5,403 |
1971年 | 1,190 | 4,412 | 5,602 |
1972年 | 1,745 | 2,950 | 4,695 |
1973年 | 1,679 | 1,066 | 2,745 |
合計 | 8,612 | 32,641 | 41,253 |
近年の市場価値
クラシックカーが世界中で高騰している現在、トライアンフGT6も例外ではありません。
モントレー・クラシック・カー・ウィーク”では過去10年のクラシックカー全体の落札相場は約10倍までに膨れ上がっています。今では80年代のネオクラシックカーですら高騰している現状です。
ドイツ全土のクラシックカー市場を評価するサイト「Classic Data」によるとGT6は2013年から2020年の7年間で約5,000ユーロも市場価格が高騰しています。
GT6は生産期間、生産台数が少なく日本では市場に出ているものが少ない為希少です。
Mk3は1973年まで製造されていましたのでその多くを輸出したアメリカには今だ多く現存するようです。
海外のメディアはGT6は今のところ魅力的な価格で市場で取引されていると記しており、近年だと状態の良いGT6Mk3だと25,200ドルで取引されたようです。

アフターパーツについて
日本では情報が非常に少ないですが世界中にはトライアンフGT6愛好家が数多くおり、またアフターパーツを販売しているショップも海外には数多くあります。
特にイギリスのショップ「Rimmer Bros」はネット通販でパーツを日本へ送ってもらうことができ、そのパーツの豊富さはかなりの物です。
筆者も何度か注文をしたことがありますが、約2週間程で到着し、梱包も海外の通販とは思えないほどのしっかりと丁寧にされてあるため非常に信頼できるショップとなります。
過去に小さいものでフィルター類やスタッドボルト、重いものでキャリパー、ブレーキディスク、大きいものでアルミホイール4本を注文しましたが、配送事故や不良品等一切なく完璧な仕事をしてくれます。
注文もペイパル決済が使えるため、万が一の場合の補償には一定の安心感があります。
また商品カタログが無料で貰えるので一度カタログだけでも注文してもいいかもしれません。
送料も無料でエアメールで届きました。

車種ごとにカタログが用意されており、内容についてはかなり有用なパーツカタログになります。
カラーページになっており、一部商品には写真付きでほぼすべてのパーツリストとナンバーが記載していますので非常に利用価値の高いものとなっています。

最後に
今回は筆者の愛車でもあるトライアンフGT6についてまとめてみましたが
反響がもしあるようであれば愛車のレビューもしてみたいと思います。
YouTubeにも解説を投稿しておりますのでぜひご覧ください
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